私がワンオペしたことがない理由。ちょうどいい家族の主語は”I”じゃなくて”We”

2022/05/15

ライフ・子育て・教育



先日、夫が「のりちゃんは、いいよね。こういうだんなさんがいて」と言ってきました。  
正直、そのときは「自分で言ってるよ〜」くらいにしか思わなかったのですが、そうなのかもしれないと思うようになってきました。

実は、私はワンオペを経験したことがありません。

私の母は、私が上の子を妊娠中に亡くなったので、子どもが生まれてから実家のお世話になったことはなく… 

その代わり、子育てや家事をシェアしてくれたのは夫でした。

朝と夜のご飯づくりは1日おきの担当制で、子どもの勉強も交代で見ています。

なぜそういうことができているのか。

それは私たちが2人とも自営業なので比較的時間の融通がきくということ、そして頻繁に話し合いを繰り返していることにあると思います。

子どもの誕生で見えてなかった部分が見えるようになる

付き合っているときは毎日寝食をともにするわけではないので、お互いに「いい部分」しか相手に見せないし、見ることもない。価値観に関わる話をすることも少ないかもしれません。

でも一緒に住むとそういうわけにはいかないですよね。

玄関の靴の脱ぎ方が、とか食器の洗い方が、とかトイレの使い方が気になるとか。

そういうことはまだいいとして、もっとも大きな違いを感じるのは、子どもを持ってからだと思います。

男女平等でも生物的に男女は違う

女性の社会進出が進んで男女平等とはいっても、女性と男性は生物的に違います。

妊娠、出産するのは女性だし、男性から母乳が出ることはありません。その部分が同じになることはないですよね。

授乳がはじまると2、3時間おきに起きるので、生活パターンは大きく変わります。これまでは自分のペースで好きなように暮らせたのに、それができなくなる。

体力的にもしんどいし、精神的にもしんどい。

それなのに、家にいるからという理由で家事も期待されている。

育休明けの職場に、自分の仕事はあるんだろうか。私のキャリアはどうなる?

睡眠時間が足りないとどうしても思考はネガティブになっていきます。

いろんなことを考えてしんどい。子どもが生まれて1年くらいは急激にライフスタイルが変わる時期でもあります。私も慣れるまでには時間がかかりました。

パートナーとの関係を決める産後1年

じゃあ、その時期を過ぎたら問題ないかというとまったくそんなことはない、と私は思います。 むしろ、その時期のパートナーとの関係がその後のデフォルトになる可能性が高いのではないでしょうか。 

私も最初は「家にいる」自分が家のことは全部やらなくてはいけない。と思っていました。

けれど、実際に夫からそう言われてみたら、かなり腹が立ちました。

育児の中心を担うのは母親。母親になったらいろんなことをあきらめて、子どものために生きるのは当然っておかしくない?

一方、ここで思ったのは子どもや夫の「ために」なにかをあきらめるというのは被害者的で、主語は”I”、つまり自分中心なのではないかということです。

それまでは波風を立てない方がよい妻だと思っていました。

でも、その場を波風を立てずにやり過ごすことは本当に家族にとってよいことなの?

幸せの主語は、IではなくWeで考えた方がよいのでは? 仮にその場をやり過ごしても、なにかあれば「あのとき〜してあげたのに」という気持ちになると思います。

そういう押しつけがましい気持ちを持つくらいなら、ちゃんと話した方がよくない??

そう考えて、私は子育てや家事の役割に対する考えを夫にぶつけることにしました。

それに私は1日中子どもにつきっきりでいて幸せを感じられるタイプではありません。
最初は「母親なのに、そんなふうに考えるのはおかしい」と言われたこともありました。

けれど、母親だからという理由だけで、周囲が期待する母親の役割を演じるのはおかしいと私は考えています。

子どもはかわいい。ただ、女性であるというだけで母親業がうまいわけではない。人には向き不向きがあって、それはどうしようもない

だから、家事や育児は「手伝う」ではなく、一緒にやって欲しいと伝えました。

波風立てないことがいいわけじゃない

私達の「理想の家族の形」を叶えるために、どのような家族運営をすればよいのか。

かれこれ7年以上、私たちは事あるごとに話し合いを繰り返しています。

ときには激しいバトルに発展することも。

どんなに話しても、わかりあえないと感じることもあります。

当然ですよね。パートナーといっても、もともと他人なので。完全にわかりあえることの方が奇跡です。

わかりあえないことを前提に、じゃあどうするか。という話なのだと考えています。

伝統的な(?)一歩下がって夫を立てる的な良妻賢母像とはほど遠いですが、何度も話し合いを繰り返すことでだいぶ私たちは「ちょうどいい暮らし」に近づいてきました。

「私が我慢すれば」とか「それは私の仕事じゃない」という考え方の前提にある主語は”I”です。 

もちろん、夫婦は家事や育児を分担するべき。と言っているわけではありません。それぞれの家庭で、きちんと話し合いがされていて、お互いに納得しているなら問題ないでしょう。

ただ「ちょうどよい暮らし」には、長続きする関係が欠かせないと私は思います。

ずいぶん前に産後1年を過ぎた人も、今日から話し合えばきっとだいじょうぶ。

1人よりも2人でいた方が強い。その感覚を持てるように、家族の幸せは”We”で考えていきたいですね。
Share This Page

このブログを書いている人

検索

アーカイブ

QooQ