理屈ではなく人間関係で回る地方。経験者が語る、田舎で生活できる人の条件その2

2019/05/23

ライフ・子育て・教育


「田舎の人は人は温かくて、都会の人は冷たい」

これって本当でしょうか?

前回の記事で、田舎への定住を難しくする要因その1をお伝えしました。

今回は2つ目のコミュニケーションについて書いていきます。

冒頭の問いに対する答えは「そんなことはない」です。

田舎と都会のコミュニケーションの違い

むしろ、田舎の人は知っている人にやさしく、知らない人には冷たいです。

逆に、都会の人にとって知らない人の中で生活するのは当たり前のこと。

知らない人とトラブルが起きないように相手との距離感をはかることができるのは都会の人の方が多いと感じます。

あくまでわたしの実感ですけど。

「田舎の人が温かい」とは誰が言い始めたのか知りませんが、そう感じるのはその人が地方出身で上京してはじめて「知らない人」と付き合わなくてはならなくなったからではないか、とわたしは思います。

田舎は基本的に人の流動が少ないので、近所の人は親兄弟含めてその人が小さいときから、みんなのことを知っています

そのため、ツーカーとまではいかなくても、それほどマナーやコミュニケーションを意識しなくても生きていくことができてしまうのです。

没コミュニケーションの2つの事例

ここで、どのくらい田舎の人が地域の中で生活しているかが分かるエピソードを2つ紹介します。

田舎では知らない人に出会うことの方が稀です。

基本的にみんな知っている状態が普通なので、見知らぬ顔がいると目立ちます。

道を歩いていると突然「名前は?」とか「誰?」と聞かれることはめずらしくありません。

答えると「そんな姓はこのあたりにはいないはずだけど。どこかから嫁いできた?」と返されるのが普通です。

こういうことがあまりにも多いのと、人に名前をたずねるのは自分が名乗ってからがマナーだと私は思っているので、答える前に「そういうあなたの名前は何ですか?」と聞き返しています。

2つ目。地元の敬老会に、我が家の子どもも参加していました。

保育園の行事として参加することになっていたのですね。

そこで、壇の上にのぼった子どもたちが自己紹介をするときに、自分の祖父母の下の名前を言ってから、自分の名前を言っていたのです。

我が家の夫婦は二人とも関東出身なので、天草に親戚はいません。

当然、祖父母の名前を言ったところで通じないですよね。

なので、両親の名前を言っていました。

わたしたちの下の名前を認識している人はどれくらいいるのかは分かりませんが。

天草には、祖父母の下の名前を言うことで「誰の孫なのか」を重視する文化があるということですね。

誰の孫なのかが分かれば、あの家はこういう家だから、と周りが勝手にそんたくして動いてくれるのです。

田舎になじむにははじめが肝心

これらののエピソードをふまえて考えてみましょう。

そういうところで、うまくやっていけるよそ者とはどんな人でしょうか?

地域になじむには、家族連れは有利です。

子どもが少ないので、近所の人は歓迎してくれますし何かにつけて世話を焼いてくれるからです。

子どもの存在によって、地域の人と関わることができていると思います。子どもがいない家なら、地域の行事や清掃活動には積極的に参加するとよいでしょう。

田舎の人が知らない人に冷たいなら、接点を作るようにすればだいぶなじむことができますよ。

そういう意味では、仕事は会社勤めよりは農業や自営業の方がよいと思います。

会社勤めをしていると、家と職場の往復だけで一日が終わってしまうので地域との関わりを持つことが難しいからです。

逆に、自宅で完結してしまう仕事であったり、シングルだったりすると「あの人はなにをしているのか分からない」と思われてしまいます。

全部合わせる必要はない。知っている人になって意見する

たまに「地域になじむ必要はない」という人がいますが、はじめからそういうスタンスだと十中八九うまくいきません。

だからといって、郷に入っては郷に従えというつもりもありません。

地元の人にとっては当たり前だけれど、外から見るとおかしなご当地ルールもあります。

そういうものを「おかしい」と言えるようになるためには、地域の人にまずは聞いてもらえるようになることが大切です。

聞いてもらえるようになるためには「知っている人」になる必要があります。

日本人は周りと違う意見を言うと、自分と関係ない、ととらえる傾向がありますが、ストレスになるくらいならちゃんと言った方がいいです。

ただし、それを言えるようにするためにはある程度の関係性を作ってからの方が伝えやすいですし、相手も聞く耳を持ってくれます。100%自分の意見が通るとは限らないものの、意見表明をすることに意味があるのではないでしょうか。

移住者の側が郷に入っては郷に従えという考え方を持っていると、我慢が一定のラインを超えたときに住み続けることができなくなってしまうのではと思います。

そういう意味では「都会の人間関係に疲れた人が、癒やしを求めて田舎に移住する」パターンはうまくいかないでしょう。

理屈ではなく、昔からの人間関係で回っている田舎の方がよほど人付き合いが面倒くさいからです。

人が好きなら、どこに行っても生きていけます。

でも、別に人が好きなわけじゃない、という人も大丈夫。必ずしもコミュニケーション能力に長けている必要はありません。

 「カルチャーショックを楽しめる人、受け流せる人」 なら、生活していけます。わたしがそうです。以上をまとめると田舎で生活していける人の条件とは

  1.  地域と接点を作ることのできる人
  2. カルチャーショックを楽しむことができる人

 の2つです。

***

 横浜から天草に移住することになった経緯や、起業するまでのあれこれはこちらにまとめました!ブログでは書ききれていない話にも触れていますので、ご一読いただけると嬉しいです。

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